那須の歴史①-日本初の牧場リゾートができるまでの話

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 那須と言えば、那須高原那須別荘地のように、「自然豊かなリゾート地」という印象が強い方も多いかと思います。

 しかし、その成り立ちは、農作物のできない高地、水を得るためには厚すぎる地盤、あちこちに巨大な火山岩が散在する荒野、といった極めて立地的に不利な環境でした。

 誰も手が付けられないようなひどい荒野状態だったこの那須高原に着手し、見事そのリゾート化を成し遂げた先人たちがいました。

 今回は、そんな先人たちの開拓当時の工夫を交えながら、那須の歴史を紐解いて行きたいと思います。

 

「湯治」の名所としての始まり

f:id:NasuHigh:20180902184024p:plain出典:温泉と歴史|那須高原・那須温泉のお宿|那須温泉旅館協同組合|栃木県

 那須の歴史の始まりはいまから約1300年前、温泉に浸かって身体を治癒する「湯治」の目的で利用されてからだと言われています。

 昔から、温泉は身体の傷や疲れを癒す効果があるとされ、良質な温泉の湧くこの那須にも治癒目当てで多くの人が訪れていたのです。

 これは、現在那須に訪れる人の目的が「静養」である場合が多いことを考えると、当時那須を訪れていた人といまの旅行者が同じものを求めていると理解できますね。

 那須の温泉は、最初に那須温泉(別名「鹿の湯」、そこに溜まっていた湯で鹿が傷を癒していたことからこう名づけられた)が見つけられてから、その後板室温泉新那須温泉も新たに温泉として開拓されていきました。

 明治時代には、鉄道や道路の発展と共に温泉街が整備され、日本でも有数の温泉地となっていったのです。

 

 しかし、那須に転機が訪れました。

 第二次大戦後、食料増産と失業者保護のために未開拓地の入植が始められたのです。

 那須は、それまでの温泉地としてだけではなく、居住地としての開墾の必要が出てきました。

 

「火山」と「高地」が開拓の進歩を阻む

f:id:NasuHigh:20180902191034p:plain出典:趣美人の那須高原ぶらり旅 奥の細道名勝地に指定那須高原「殺生石」の情景と九尾の狐伝説

 それまで温泉地として人気を集めていた那須ですが、温泉には火山によってできた火山性の温泉と、そうではない非火山性の温泉があり、那須温泉は不運にもその前者でした。

 那須の土地は、過去の噴火によって大量に噴出された火山灰や、粉砕されることなくそのままの巨大な岩石があちこちに散在していました。

 それに加えて高地で気温も低いことから、お米や野菜などの農作物を栽培することが難しく、開拓にはとても不利な環境でしたが、先人たちは農作物を諦め、酪農に力を注ぐ選択をしました。

 背水の陣で挑んだ酪農でしたが、酪農は高地でも行うことが可能で、チーズや牛乳、肉といった多品目の食料をそこから作り出せるため、入植者の生活を支えることになりました。

 

 さらに、酪農を始めた牧場では思わぬ出来事もありました。

 それは、心身治癒を求めて那須の温泉に訪れていた人たちの牧場への見物です。

 温泉を入ったあとの余った時間で、その暇つぶしにと牧場の牛を見に訪れて来たのです。

 始めの内は、自由にご覧くださいとしていたのを、「せっかくなので今朝採れた牛乳をどうぞ、牛乳から作ったソフトクリームもぞうぞ」と次第におもてなしが進むようになりました。

 牧場が観光施設として利用されるようになったのは、この那須が始まりだそうです。

 こう見てみると、観光はどこから生まれて来るのか予想できないものだと思います。

 

 再び「観光」の町へ

 那須はこうして酪農を一つの転機に、居住地としての環境を整えていきました。

 そして同時に、牧場を新たな資源とする「観光」の町としての可能性も見えてきたように思います。

 しかし、振り返ってみてください。

 もともと那須には「湯治」を特徴とする温泉があり、それを求める人々訪れる形で町全体として栄えてきました。

 那須に何か魅力があって、そこに人が集まってくるという構造から見れば、那須は昔から典型的な「観光」の町であったと言えるのです。

 

 さまざまな観光資源を有し、いまでも年間1400万人の観光客を迎える那須、その歴史に今回は注目してきました。

 次回、那須のリゾート化・・・高度経済成長期にかけての成長の話・・・をお送りしますので、是非そちらも楽しみにしていてください。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。