那須がバブル期にリゾート化を遂げられたわけとは?|那須の歴史Part2
こんにちは。皆さんは、最近自分の周りの景気が良くなっていると感じますか?
「とても良い」という人もいれば、「そんなに感じない」という人もいらっしゃるかもしれません。
街の人に聞くと「景気が良い」と答える方は少ないかもしれませんが、現在日本の経済状況はバブル期以来の高水準で、株価も高値を更新している経済全体としては上向きの状態なのです。
そんな経済が好調な時には、企業活動が活発になったり開発が進んだりします、
そして、那須も過去のある好景気の時代において、一気にリゾート化を遂げました。
今回は、那須が好景気の時代に発展を遂げた「一大リゾート化までの歴史」についてお話ししていきます。
高度成長期の60年代から開発が始まる
日本で有数の別荘地、リゾート地と言われる那須ですが、那須がそう呼ばれるようになったのは、戦後の高度経済成長期、特に1960年代のいざなぎ景気の頃です。
当時、車、エアコン、カラーテレビは新三種の神器と呼ばれ、一般家庭の消費を刺激し、所得増加に伴って消費が増えた家計は、レジャーに対する消費の割合も増加していきました。
レジャーとしては、ゴルフ、スキーがこの時代に大衆化のタイミングを迎え、新たに遊園地が私鉄大手などの企業によって始められました。
1969年に開園したこの施設は、那須のレジャー施設の先駆け的な存在であり、今でも営業を続けています。
この那須ハイランドパークに続く形で、バブル期に入ってから、那須サファリパークや那須りんどう湖LAKE VIEWといった、多くのレジャー施設が建設されました。
中でも、那須りんどう湖LAKE VIEWは、「湖」の周りにつくられた那須最大級の複合レジャー施設で、毎年多くの観光客を集めています。
しかし、その誕生のルーツを知る人はなかなかいません。
那須のレジャー施設誕生のルーツについてもう少し深く見てみましょう。
火山がリゾート化の行く手を阻む!?
1960年代に始まる那須のリゾート開発は、活火山である茶臼岳(別称、那須岳)麓の那須高原で行われてきました。
この火山活動と地形との関係こそ、那須リゾート化のルーツを知る上で欠かせない要素です。
那須は、活火山群である那須連山の麓に位置する地域であり、火山が起こした活動の爪痕が至る所に残っています。
りんどう湖周辺にはデコボコした小山がいくつか連なる地形になっており、これは那須連山の噴火活動によって山体崩壊が起き、山の一部が流れ山となって麓に移動してきたことで形成されました。
他にも、那須のあちこちには大きな岩石が散在しており、これも火山の噴火によって飛んできた岩がそのまま残っているというものです。
この大きな岩石や流れ山によるデコボコした地形のために、那須の開発は難航してきたわけですが、だからこそ大きなリゾートになり得たという部分もありました。
手つかずの戦略が功を奏す
那須で最大級のレジャー施設那須りんどう湖LAKE VIEWは、火山によって形成された歪な地形の上につくられました。
那須が日本で初めてだと言われる観光用の牧場も、火山麓の土地で農作物の栽培ができなかったがゆえに見出せたことです。
そして、那須がバブル期を代表する一大リゾートとなり得たのは、それまで開発が進まず、未開拓の自然が那須に多く残っていたためです。
つまり、この地が長い間手つかずであったことが功を奏して、那須は一気に一大リゾートへと変貌を遂げられたというわけです。
かつて家庭の間でレジャーへの消費が増大し、日本がバブルを迎えた時期に那須は活気を得ました。
経済が成長し好景気を迎えるいま、那須が活気を取り戻す日が近づいているのではないでしょうか。
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